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  • 2014.08.25

    現地の許新聞記者招き
     沖縄タイムスの元論説委員でフリージャーナリスト屋良朝博さんの講演会「沖縄の米軍基地問題を知っていますか? 」が23日、上田市中央公民館で開かれ、市内外の約40人が参加した。屋良さんは在沖縄米軍の実情を紹介しながら、「沖縄に基地を置く理由はない」と訴えた。
     屋良さんは、沖縄にいる米軍の6割を占める海兵隊は、「どこかで何か起こった場合は『現地集合』する部隊なので、沖縄でなくどこにいてもいい」と説明。日本政府は地理的優位性や抑止力を理由に挙げるが、なぜ沖縄に基地があるかを説明できていないとし、「沖縄に基地があるのは軍事的理由ではなく、国内政治の問題」とした。
     名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ前であった県民集会に大勢参加したことも、知人が撮った写真とともに紹介した。
     講演会は、上田市に事務局を置く市民グループ信洲沖縄塾が企画した。
                            信濃毎日新聞(2014/08/24)

  • 2014.08.21

    上田で23日講演や映画上映
     沖縄県の地方紙、沖縄タイムスの元論説委員でフリージャーナリスト屋良朝博さんの講演会「沖縄の米軍問題を知っていますか?」が23日、上田市材木町の市中央公民館で開かれる。米海兵隊の活動や基地をめぐる沖縄の負担の実態について話す予定。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設準備が進む名護市辺野古での移設反対運動を扱ったドキュメンタリー映画も上映する。
     屋良さんは長年、基地問題の取材に取り組み「砂上の同盟」「誤解だらけの・米軍基地」などの著書がある。米海兵隊の拠点を沖縄に置く必要はないとの立場から、沖縄の負担が集中している理由を話す。沖縄や米海兵隊を題材にした映画を手掛ける藤本幸久監督が、6月~7月末まに辺野古での反対運動を撮った作品だ。
     講演会は上田市内に事務局を置く信州沖縄塾が2月に企画したが、大雪の影響で延期していた。沖縄塾の伊波敏男塾長(71)=上田市保野=は辺野古ではジュゴンなどの生態系への影響も心配される中、海底ボーリング調査が始まった。辺野古基地建設の問題点は何か、今回は最新の情報が得られる機会になる」と話す。
     午後6時から、資料代500円で申込み不要。問い合わせは沖縄塾の村山顕さん(090/7728/9115)へ。
                                               信濃毎日新聞

  • 2013.11.14

    秘密保護法案 県内の沖縄出身者ら注視
    県民へのPRも
     沖縄問題や平和を考える市民団体「信州沖縄塾」(事務局・上田市)のメンバーや、県内在住の沖縄出身者が、国会で審議が進む機密を漏らした公務員らへの罰則を強化する特定秘密保護法案の審議の行方を注視している。1972(昭和47)年の沖縄返還をめぐり緊急事態での沖縄への核持ち込みを容認する「沖縄核密約」などを踏まえ、「歴史の検証さえできなくなる」との恐れが背景にある。法案に対する県民の関心は薄いとも感じており、PRを強めようとしている。
     昨年12月、沖縄核密約をテーマにした講演会を上田市内で開くなど沖縄問題への市民の関心を向けてきた信州沖縄塾塾長の伊波敏男さん(70)=上田市=は法案について「知る権利そのものが侵される」と懸念する。
     核密約の存在は、当時の佐藤栄作首相の密使として米国側と密約をまとめた国際政治学者若泉敬さん(故人)が晩年の著書で明らかにした。伊波さんは、特定秘密保護法案が成立すれば、「重大な情報が秘密になり、最後は廃棄されかねない。歴史の検証さえできなくなる」とする。
     一方で、伊波さんは、法案への市民の関心が薄いと感じている。「基地問題もそうだが、一般的に自分の日常の問題につながりにくい」と指摘する。塾は15日、上田市内で運営委員会を開き、法案に対する立場の見解や基本指針をまとめ、県民へのPRを強める方針だ。
     副塾長の大村忠嗣さん(66)=上田市=は2008年に長野県内で初めて行われた、武力攻撃事態などに備える国民保護実働訓練に関し、市民団体の一員として県に何度か情報公開請求をした経験がある。当初は黒塗りで示されなかった情報もあるといい、「法案の下では、何が秘密になっているのかさえ分らなくなる。そのことが一番の心配」と言う。
     塾生以外の沖縄出身者も法案の行方を心配する。沖縄県読谷村出身で信州大医学部4年比嘉大さん(26)=松本市=は「秘密指定が適正かどうかを監督できるようにするチェック機関の設置や仕組みが必要ではないか」とする。
     那覇出身で沖縄戦を経験した親里千津子さん(82)=長野市=は「政府にとって都合の悪いことは隠される。戦争ができる状況をつくっている」と話す。特定秘密保護法案の課題と憲法の意義を共有したいとしている。
     ●沖縄核密約 沖縄返還交渉をめぐり、1969年の日米首脳会談の際、当時の佐藤栄作首相がニクソン米大統領と交わした有事の際の沖縄への核持込を認める秘密合意。両者の「合意議事録」に記され、緊急事態が生じた場合の沖縄への核兵器持込と通過について「日本政府は事前の協議が行われた場合には、遅滞なくそれらの必要を満たす」などとする内容。2009年に佐藤氏の遺族が保管していることが判明した。
    信濃毎日新聞

  • 2013.07.31

    読みたい本 おすすめの一冊 三島利徳

    著書の伊波敏男さんは1943年沖縄県生まれで、現在は上田市に在住。人権教育研究家として「信州沖縄塾」を拓くなどの活動をしている。

    曽祖父母から自分たちまでの4代の一族の生活を、記憶や証言、記録で克明にたどっている。そこから沖縄全体の歴史を浮かび上がつてくる。

    太平洋戦争では日本国の最前線として民間人も巻き込んだ「捨石の島」の役割輪負わされ、多くの犠牲者を生んだ。6月23日が「沖縄慰霊の日」で、今年も追悼式典で悲しみ輪新たにした。

    4代のひとたちが置かれた環境はそれぞれに厳しい。懸命に生きようとした。まず著者の曽祖父。琉球王朝の管理だったが、琉球処分(1879年の沖縄県設置にいたる一連の措置)に抗議して官を辞して農家となる。2代の祖父は納めた漢生かせなかった。長兄が友人連帯保証人となったため一族は財産を失う。祖父は酒びたりとなる。

    3代の父。押さなくして年季奉公に出された。その後、南大東島の製糖工場で働く。サトウキビ農家に転進し、島では有数の篤農家になる。敏男さんが生まれたのも南大東島である。

    だが、戦争でその農地を使うことになり島を離れる。預けた土地の権利証が転売されて土地を失う。今帰仁村での戦後の生活の再建は並大抵ではなかった

     

    4代目戸塩さんは14歳からハンセン病療養所で治療を受けて全快。偏見や差別をなくすために行動してきた。

    「島惑ひ」というタイトルは、沖縄学の父とされる伊波普猷の言葉から採った。沖縄という島の行く先を見失うことを意味するのだという。

    沖縄では基地の重圧が今も重苦しくのしかかってままだ。「いくさ世」に備える風景に伊波さんは胸を痛める。沖縄に犠牲を押し付けて来た歴史と現実を見つめて、変えていきたい。その手掛かりになる本である。

    伊波さんの半生記「花に逢はん」は、かつてNHK出版から発刊された。その時の編集者が道川文夫さんで、今は人文書簡館を経営している。息の合ったコンビで目配りの利いた編集である。(原カルチャーセンター「文章を書く」講師)

    週間長野

     

     

  • 2013.07.06

    友人ら、伊波さんを激励

    沖縄県生まれで上田市在住の作家・伊波敏男さん(70)の著書『島惑ひ』の出版記念の集いが6月23日、ホテル信濃路で開かれました。

    激動の沖縄の歴史にのみ込まれながら、懸命に生きてきた4代にわたる伊波一族を主軸に、今とこれからの「沖縄問題」を考えさせるメッセージともなっている。

    ハンセン病をせおって歩んできた伊波さんの人間の尊厳についての問いと行動に共感する知人、友人が呼び掛け人となって開かれた。

    県内から80人余が参加。呼び掛け人に名を連ねた代表の件厚生連理事長をはじめ、弁護士、沖縄線の語り部、人権センター事務局長、住職、雑誌発行人らが次々に壇上に立ち、伊波さんを激励し、交流を深めました

    伊波さんは「沖縄は『自分たちの問題』る長野から遠い沖縄の人たちだけのもんだいではありません。なぜ沖縄が今の状況にあるか――。一緒に考えてほしい。その思いを伝えたくて出版しました」と話していました。

    週刊長野

  • 2013.06.29

    島窓ひ   伊波敏男著

    伊波敏男さんの新しい本が出たと聞いてハンセン病がテーマだと思い込んでしまった。それは、世界にも例がない90年にも及ぶ「強制隔離」という間違った国策の中で、あえてハンセン病だったことを明らかにし、「ハンセン病」と向き合う人生を選択した作家だからである。さらに言えば、ハンセン病に対する排除と抹消の国策が、結果として「ハンセン病問題」を遠のかせ、理解しにくいものにしている現状の中で、今後も「ハンセン病」を書き続けてほしい、との個人的な願いがあったからである。

    本書は「琉球処分」(1879年)から今日までのおよそ130年に及ぶ伊波一族四代にわたる歴史を「小説的な虚構」という手法も加えながら沖縄の主体性を問うている。読み終えた時、改めて著者が16年前に表した半生の書「花に逢はん」を読みたくなった。らい予防法が廃止される30年以上も前に18歳の伊波さんは岡山に向かう列車の中で、「らい予防法」の間違いを確信する。人生そのものを押しつぶしてきた〈らい〉は、伊波さんの発病前からすでに治る病であることが国際学会の場で確認され、特殊な疾病でも、特殊な法令も要らないという報告がなされていたからである。

    差別は全く根拠がなかったという驚き。しかし、根拠のない差別や偏見は「らい予防法」が廃止され、隔離を認めた同法が日本国憲法に違反するとして提起された国家賠償訴訟において国が間違いを認め、謝罪した今もなお続いている。

    歴史に翻弄され、国家とは何かという問いから一時も解放されなむかったであろう著者が、四代のルーツをひもとく中で、父の、祖父の、曾祖父の、そして彼らとつながる親族が体験した「抑圧や差別の歴史」を見つめなおす。自らの「ハンセン病」を生きた人生から獲得した思想が息づいている。「小さき者」の視点とぬくもりがあるまなざし。

    沖縄出身であることによって受ける差別や不利益から逃れるため、故郷をできるだけ消して生きた叔父、借金のため18歳までに7度も売られた父親。常に酒の匂いをさせていた祖父の「世替わり」に対する絶望。家族の歴史を通し、理不尽にもますます軍事基地としての機能が強められていく故郷・沖縄を憂え、読み手に沖縄の未来をともに考えようと呼び掛けている。一読を進めたい。

    (山城紀子・フリーライター)

  • 2013.06.27

    文芸時評 大城 貞俊

    日本は「祖国」か

    伊波敏男著『島惑ひ』(2013年5月、人文書館)も興味深かった。伊波敏男は沖縄県生まれの作家でハンセン病療養施設「沖縄愛楽園」での生活体験があるるその体験を核に過去にも『ゆうなの花の季と』『花に逢はん』(ともに人文書館)など数冊の著書を出版した。ハンセン病に対する偏見や差別に対峙し、凄烈な人生を歩んできた作者の軌跡は読む者を感動させる。

    今回の作品は伊波一族のルーツを解明した作品であ。遡って曾祖父から作者まで4世代の人々の人生を描いた作品だ。この時代は明治12年の琉球処分から現在までの沖縄の苦難の歴史に重なる。首里王府に仕えていた士族の伊波家が、時代の波に翻弄される姿を詳細に描いている。多くの資料を駆使した作品世界は沖縄の歴史を語る証言にもなっている。

    この時代を背景に持つことによって、作者の視点は絶えず現代と往還し、後書きで記す次のような感慨につながる。「今、私の心の中に新たな迷いが頭もたげ始めている。はたして、日本国は『祖国』と呼びにふさわしい国だったのだろうか?」。この感慨は現在の沖縄の状況をも厳しく告発する。フィクションの力は十分に発揮されているとは思えないが、真実が物語を織り成す作品世界は、やはりこの作者の一番の魅力だ。家族を含んだ人間への愛情に満ち溢れている。

    (作家・琉球大学教授)

     

     

  • 2013.06.17

    『懸命にに生きた」地震のむ一族を軸に

    上田市在住・伊波敏男さん「島惑ひ」出版

    「沖縄の歴史を本土に住む日本人にもわかるように書いてみたかった」。沖縄出身の作家でハンセン病回復者の伊波敏男さん(70)=上田市=が「島惑ひ」(人文書館)を出版した。一族の物語を軸に、明治から今日までの沖縄の近現代史を描いた力作だ。伊波さんに新著に込めた思いを聞いた。             (編集委員・増田正昭)

    物語は曾祖父の伊波興來(1850~1903年)に始まり、祖父、父、著者の世代へ下っていく。読者は、4代にわたる一族の波乱に満ちたドラマに導かれながら、琉球王国が明治政府に強制的に併合された琉球処分(1879年)から現代までの沖縄の歴史を一気に読み通すことになるだろう。

    物語を曾祖父から始めたのは、明治までさかのぼらないと沖縄をまるごと理解してもらえないと考えたからだ。「曾祖父となると検証が難しい。沖縄に何度も足を運び、関係者に取材したり、専門書を調べたりして、虚構を織り交ぜながら書き上げた」

    琉球王国の官吏をしていた興來は琉球処分に抗議し官職を辞して農民になり、日本国への不服従を貫いた。子どもたちには自ら学問と武道を教え、新政府の教育は拒否する徹底ぶりだった。だが、家を継いだ長男が巨額の債務保証を請け負い、一族は没落。

    興來の次男で伊波さんの祖父・興用は、貧困のどんぞこのなかでわが子を奉公に出さざるを得なかった。その一人が伊波さんの父・興光(故人)だ。「祖父のことを書くのは涙が出るほど悔しかった」と伊波さんは振り返る。

    父・興光は裸一貫で南大東島に渡り、有数の篤農家になるが、先の大戦で同島は旧日本軍の拠点に。家畜もすべて軍の食糧に供出し、1994年10月、沖縄本島に移住。そこで米軍の猛攻撃に遭って一家10人が逃避行を続ける。幸いにも犠牲者は出なかったものの、苦労して築いた南大東島の資産は人手に渡ってしまった。「ヒーローはいない。時代に翻弄されながら懸命に生きてきた一族です」

    伊波さん自身も苦難の人生を経験する。57年、14歳のときにむハンセン病を宣告され、屋我地島沖縄愛楽園に隔離されることに。別れの日、父親が三線を弾きながら歌った「散山節」が、いまも耳に残っているという。ハンセン病を宣告されてからの歩みは、97年に出版された「花に逢はん」に詳しく描かれている。

    伊波さんは当初、本書のタイトルを「月桃の風韻」にするつもりだった。だが、執筆ょ準備するなかで、米海兵隊の新型輸送機オスプレイが沖縄に配備される問題が起きた。

    タイトルの「島惑ひ」は、沖縄学の祖・伊波普猷(1876~1947年)の造語からとった。戦争で深い傷を負った沖縄の行く末を思い悩む普猷の胸中を表現した言葉だという。「戦後60年以上たっても沖縄の基地をめぐる状況は変わらない。このまま日本の中にとどまることに意味があるのか、疑問に思う人たちが間違いなく増えている」

    「沖縄」と「ハンセン病」―。本書の文章の一つ一つに国家による切り捨て政策を身をもって体験してきた伊波さんならではの思いが込められてる。「生身の人間が時代をどう生きてきたのか、日本や沖縄の未来を担う若い人たちに知ってもらいたい」

  • 2013.06.15

    島惑ひ  伊波敏男著

    本書は、130年4代にわたる著者一族の生きざまを描いた人間ドラマであり、同時に大国のはざまで翻弄され続ける琉球=沖縄の苦悩を綴った歴史書である。タイトルの「島惑ひ」は沖縄学の父・伊波普猷が、戦争で壊滅した故郷の将来を案じる思いを表すためにつくった言葉だ。

    著者はハンセン病を患った体験から、国策の過ちがいかにむごい結果をもたらすかを肌身で知っている。ゆえに、この国のありさまと沖縄の行く末に対する憂いは一層深い。執筆には、教師を引退後も環境や基地の問題で市民運動に取り組んでいる兄の勧めがあった。

    「時代の波に翻弄される中、不器用ながらも懸命に生きてきた一族の足跡を辿ることで、これからの沖縄の進むべき道が見えてくるかもしれない」

    泊士族だった著者の曾祖父は琉球処分後、一家8人を引き連れ、今帰仁に移り住む。生計は広大な田畑が支えたが、長男が知人にだまされ、一家は無一文となる。二男の祖父は、父親の厳命でヤマト政府の官職に就くことも禁じられ、生きる場所を見失う。酒に溺れた祖父の借金のかたに、7回も年季奉公に出された著者の父は、18歳で南大東島に渡り、製糖工場の職に就く。ところが苦労して築いた財産を沖縄戦で失ってしまう。だが灰じんの中から再び立ち上がり8人の子供を育て上げた。一方、大正時代にヤマトに渡った父の弟は、沖縄に対する差別から、姓をイナミと変え、沖縄出身であることを余儀なくくされる。

    特筆すべきは、史実関連のみならず伝統文化や風俗習慣など、多岐にわたる資料を駆使している点だ。その結果、実に面白い。

    居を構える長野で信州沖縄塾という団体を主宰し、沖縄と、この国の現状を検証する活動を続けている著者は、「君たちの未来へ」と題した最終章で沖縄の若い世代にこう呼び掛けている。「主体性を失わない集団の尊厳とは何か?  沖縄を故郷に持つあなたたちだからこそ、それを追い求め続けてほしい」と。

    (具志堅勝也・沖縄大学非常勤講師)

     

  • 2013.06.13

    「島惑ひ 琉球沖縄のこと」(伊波敏男著)

    「島惑ひ」とは沖縄学の父・伊波普猷の造語である。昨年亡くなった琉球文学研究者の外間守善氏の解釈によれる、戦争で壊滅的な被害を受けた沖縄を思って絶望的に惑っている普猷の悲しみをはんえいした言葉だという。

    本書の縦糸をなすのは、明治の日本政府による琉球処分(併合)から、沖縄県民の反対にもかかわらず米軍輸送機オスプレイが配備された昨年までの沖縄史。横糸に著者一族の生活史がフィクションを交えて編みこまれ、沖縄が受けた抑圧の歴史を一族4代の物語として浮かび上がらせる。

    少年時代にハンセン病を患った著者は、沖縄の療養所から逃げ出して本土に渡り、岡山の療養所併設の高校を卒業。東京の専門学校に学び、社会福祉事業に従事した。ハンセン病回復者であることを自ら名乗り出て、現在は長野県で「信州沖縄塾」を主宰、人権啓発活動に取り組んでいる。

    絶望的な状況にも決して屈しなかった著者は、古里に「琉球・沖縄の主体性」を問う。そのまなざしは優しい。(人文書館・2625円)

    (共同通信那覇支局長・中川克史)

     

     

     

     

     

  • 2013.05.30

    作家で信州沖縄塾長の伊波敏男さんが新刊「島窓ひ」(人文書館)を出版した。1879年の琉球処分から今まで、自らの一族がどう生きてきたかを書くことで、沖縄の歴史に息を吹き込んだ。

    「沖縄の未来を若者たちに託したい。そのためには今までの歴史むと、歴史を人間がどういう気持ちで生きてきたかを知ってもらいたい」。沖縄に生きる若者に向けたメッセージである。ヤマトの人にも「沖縄はかわいそう」で終わるのでなくね自分の問題にひきつけて考えてもらいたいという。

    タイトルは「心千々に乱れながら、遠くから沖縄の行方を考えた」学者、伊波普猷の言葉。「今まとめなくてはならない」という思いが募り、2007年以来6年ぶりの出版となった。

  • 2013.05.21

    上小の有志が来月上映会

    本土復帰前の沖縄で起きた米軍機墜落事故を題材にした映画「ひまわり~沖縄は忘れない あの日の空を~」(2012年)の上映会が6月、東御市と上田市で計6回開かれる。上田小県地域の有志らがつくる実行委員会が「悲惨な事故を風化させず、米軍基地と隣り合わせに暮らす沖縄の人たちの思いを感じてほしい」と企画した。

    墜落事故は1959(昭和34)年6月30日に起きた。沖縄県の嘉手納基地を離陸したジェット機が石川市(現うるま市)の宮森小学校校舎に激突。児童11人と住民6人が死亡し、210人が重軽傷を負った。

    映画では、宮森小の事故に遭い、友人を亡くして心に傷を負った主人公を長塚京三さんが演じる。2004年8月に米軍ヘリコプターが沖縄国際大(宜野湾市)に墜落した事故も取り上げた。同大に通う主人公の孫が、ゼミ仲間と共に宮森小の事故を調べ始め、当時の被害者らが今も苦しみを抱える様子を描く。

    上映会の実行委員長は、上田市を拠点に活動する信州沖縄塾の塾長で沖縄県出身の作家伊波敏男さん(70)=上田市保野。「沖縄で何があったのかを知るための入門書のような映画。一人でも多くの人に見てもらいたい」と話す。

    上映会は6月8日に東御市常田の市文化会館。同15日に上田市丸子の市丸子文化会館。同29日に同市上田原の上田創造館で開く。いずれも2時と同6時半からの2回。一般が前売り千円。当日1200円。小中高生は前売り、当日とも500円。上田創造館では上映前の午後1時半から声楽、午後6時から沖縄の八重山民謡の発表がある。問い合わせは実行委員会(0268・24・2246)へ。

    信濃毎日新聞

     

  • 2013.05.11

    長野県で沖縄の歴史や基地問題を学ぶ信州沖縄塾の素は敏男さん(70)は「連帯という言葉は使わないように」と塾生と申し合わせている。「連帯という言葉には上からの目線がある。問題の当事者になっていない」▼2004年8月に立ち上げた信州沖縄塾は「沖縄の現状と歴史、文化を学ぶ゜」「学んだことを糧にして、信州とこの国を検証する」「それぞれの立場で行動する」の三つの目標を掲げた。▼沖縄戦跡や米軍基地をめぐる学習会や名護市辺野古への新基地建設反対意見広告を地元紙に出すなど活動に取り組む。「自分の足元で、できることをやり続けないと、この国は変わらない」▼5・15平和行進の経験がある京都市の20代男性を以前に取材し、「警備している若い機動隊員に『観光客は帰れ』と言われ、ショックだった」という話を聞いた。「たまに沖縄に来て、基地問題を訴えては帰る自分は、観光客と変わらないと気付いた」という」▼男性は続けた。「沖縄の犠牲や広大な基地を押し付けたのは日本の問題。自分もその一員。問題の現場は日々暮らす場所にある」▼子として36回を迎える平和行進。更新の終わりがゴールではない。それは沖縄を歩き、見て、考えたことをきっかけに行動するスタートでしかないはずだ。(与那原義彦)

    沖縄タイムス

     

     

  • 2013.04.24

    伊波敏男氏 信州沖縄塾塾長

    長野県上田市にある自宅に与勝高校の学生が泊まったとき。女子生徒の一人がこうつぶやいた。「ここの風には音がある。小鳥のさえずりも聞こえる」。こう続けた。「私たちが朝一番に耳にするのはジェット機の騒音です」

    伊波さんは「沖縄に生まれながら、まったく感覚がずれていた」と衝撃を受けた。古里との乖離を痛感したことをきっかけに、2004年8月、沖縄の現状と歴史を学び、長野県から平和問題を考える。「信州沖縄塾」を立ち上げた。第一回講演会は建築家の間喜志好一さんが「沖縄はもうだまされない」としてオスプレイ配備の危険性を話した。

    主権回復の日の式典に、伊波さんは「これほどまでおきなわは無視されるのかとショックを受けた」と怒りの声を上げた。開催を進める安倍晋三政権に「゛米軍の抑止力など軍事的な必要性を主値ようしながら、沖縄の人々の痛みや心は視野に入っていないと」と批判した。

    沖縄塾は緊急塾報を発行し、「切り捨てられ、基地を押しつけられた沖縄県民を愚弄する」と抗議し、開催中止を訴えた。出席する長野県の阿部守一知事に欠席を要請した。

    14歳からハンセン病療養所「愛楽園」に入所。米軍統治下の時代、診察した医師は「このような病状まで、なぜ沖縄の医療はこの子わ放置したのか」と怒りこめて語ったという

    高校進学も入所者を隔離する法律やパスポート発行の壁に直面。愛楽園を脱走して、高校がある岡山県内の療養所に向かわざるを得なかった。

    回復者として、東京の社会福祉事業に携わるが、挫折と犠牲を強いられた。ハンセン病の歴史を排除と抹消の歴史だったといういう伊波さん。長く続いた国の隔離政策を批判し、自伝的小説「花に逢はん」には「日本の医療政策と社会的烙印がハンセン病者を殺した」。それも生きたままであると話した。

    伊波さんは「誤った国策で多くの人々の人生や尊厳が奪われた。沖縄問題も政府が誤った国策に固執することで、沖縄の人々を苦しめている」と指摘。「多数者のために少数が切り捨てられる構図は同じだ」と語った。

    「石を踏んだ痛みではなく、踏まれた石の痛み」というのが発想の起点。「改憲が政治的な争点になっている。大多数の意見だけで弱者の視点を失うと国の行く末は危ない」と警鐘をならした。(東京支社・与那原義彦)

    沖縄タイムス

     

  • 2013.01.29

    がらくた座の木島知草さん HIV理解深める

    「ちいおばさん」の愛称で知られ、全国各地でHIVウイルスの正しい知識と、人権・性教育について人形劇を通し講演活動いているがらくた座の木島知草さん=長野市松本市=の沖縄講演が今年、10年の節目を迎え、沖縄での大がかりな活動を終了することになった。90代になっる実母に寄り添っいたいという木島さんの思いから、遠隔地でのこうえんを控えるというのが大きな理由だが「これまで多くの種をまいてきたので、これからは皆さんで花を咲かせてほしい」と話している。

    木島さんが沖縄で講演するようになったきっかけは、長野県上田市で信州沖縄塾の塾長を務める元ハンセン病患者の伊波敏男さん=今帰仁村出身=が「沖縄のこどもたちがゆがんだ性情報に惑わされることのないように、人権や命について考えるきっかけになってほしい」と木島さんに依頼したことにさかのぼる。

    18日、沖縄安慶田のくすぬち平和文化会館で開かれた木島さんの労をねぎらう関係者の集まりに、長野から伊波さんもサプライズで駆けつけた。

    伊波さんはハンセン病訴訟で国から支払われた賠償金を原資に「伊波基金」を創設、フィリピンの医学生に奨学金として支援しているが、その基金の第一号が木島さんだった。

    10年間に述べ7,000人の沖縄の人たちを前に講演してきた木島さんは「長野で『ひまわり』の上映会を企画している。これからも沖縄とのつながりを大事にしたい」と話した。

    (琉球新報 2013/01/24)

  • 2012.11.26

    琉球朝日放送(QAB)制作のドキュメンタリー番組「花に逢はん――人としての尊厳を求めて」(2011年10月1日放送、74分)が25日、第18回プログレス賞の最優秀賞に決まった。

    テレビ朝日系列24社の優れた放送番組に与えられる賞で、同系列の放送番組審議会委員代表者会議(堀田力議長)が決定した。QABの最優秀賞受賞は2009年以来4度目。

    受賞番組「花に逢はん」は、県出身者のハンセン病患者の半生を負った。ディレクターとして番組制作を指揮した中村裕ささん(32)は、「差別は無知や無関心によって生まれるので、正しい知識を伝えることが報道の使命だ。これまで支援や協力してきたくれた人に感謝したい」と喜びを語った。

    ほか優秀賞は北海道テレビ放送、奨励賞は静岡朝日テレビ、瀬戸内海放送が受賞した。

    信濃毎日ム新聞

     

     

  • 2012.10.02

    諏訪の写真家石川さんら

    本土復帰前の沖縄で起きた米軍墜落事故題材にした映画「ひまわり~沖縄は忘れない、あの日の空を~」の製作に協力する県民有志グループが一日、県庁で会見し、製作費に充てる協力券(入場券)の購入を呼び掛けた。

    事故が起きたのは1959年。沖縄の米軍基地を離陸したジェット機がうるま市の宮森小学校の校舎に激突。児童11人と住民6人が死亡した。映画は埼玉県の映画企画会社などでつくる製作委員会が既に撮影を終えたが、製作費約1億4千万円のうち約5千万円が不足しているという。

    「映画『ひまわり』を進める長野県民の会」には、諏訪市の報道写真家石川文洋さん(74)と、作家伊波敏男さん(69)=上田市、沖縄戦を語り継ぐ親里千津子さん(80)=長野市が出席。石川さんは、安全性が懸念される米軍のMV22オスプレイが普天間飛行場に配備されたことに触れ「宮森小の悲劇を二度と起こしたくない」と話した。

    映画は11月に完成し、12月から東京や沖縄で上映。県内でも来春の上映を目指している。協力券は入場券として使用でき、10枚(1万円)単位で買える。問い合わせは同会事務局の長野映研(026・232・1226)へ。

    信濃毎日新聞

  • 2012.05.18

    遠い辺境の問題でない

    信州沖縄塾塾長 伊波敏男さん

    沖縄出身の作家で、「信州沖縄塾」の塾長を務める伊波敏男さん(69)=上田市=は、中学生の時にハンセン病と診断され施設で隔離。16歳で米軍統治下の沖縄を離れ、パスポートを持って本土へ渡った。病は間もなく回復。40年前の本土復帰は東京で迎えた。

    「本土復帰によって、形として日本人となり、パスポートがいらなくなったのはむうれしかった。異民族支配から抜けられるので、沖縄は少しは良くなると思った」と振り返る。

    それから40年。基地負担の重さは変わらない。「本土の人は沖縄に恋い焦がれるが、沖縄はいつも裏切られる。このギャップが埋まらないのです」

    8年前、沖縄と本土の心の距離を少しでも埋めようと、沖縄塾を立ち上げた。きっかけは、上田市の自宅にホームスティした沖縄の女子高校生が、朝食の食卓でつぶやいた一言だった。

    「伊波先生、長野の風には音があるよ。葉ずれの音と鳥のさえずりも聞こえたよ」「どういうこと?」「だって朝一番に私たちが耳にするのは、(米軍の)ジェット機が飛び立つ音だもの」

    静かな信洲で暮らしているうちに、心の中の沖縄は懐かしいだけのふるさとになっていた。信州でなすべきことを模索した末、呼び掛け人となって学習会のような塾を開いた。

    これまでに沖縄などから歴史研究家や作家、牧師、環境保護活動家ら20人以上のゲストを招いた。内容は「市民がアンテナを得た生の情報」が多く、日米政府の枠内の情報に慣れ「受け身」にならないようにした。塾生は中高年を中心に約200人。学んだことを自分の視点で発表する機会も設けた。

    自ら行動も起こした。政府が米軍普天間飛行場の県外移設を断念した2年前、長野県民から賛同者を募って、沖縄での新基地建設の反対を求める意見広告を信州の新聞に載せることを発案した。「沖縄は辺境の遠い問題ではない。政府や政治家だけの問題ではない。安全保障は自分たちのの問題であり『私』という個々人の名前を掲載することによって、沖縄と無関係ではないという意思表示と問題提起をしたかった」

    一人1千円の賛同者は順調に集まり始めたが、ある時、ぴたりと止まった。沖縄・尖閣列島沖での中国漁船衝突事件で、米軍基地の必要論が高まったためだった。途中でやめることも頭をよぎったが、最終的に4400人の賛同者が集まり実現した。

    年何度か沖縄に帰るが、最近、「マグマが地表すれすれでたまっている」と感じる。この国をどうするのか?「40年前から本土の人に発信し続けてきたのに、くびきから抜けられない。深層心理の部分で『差別』ととらえ始め、国民1人ひとりに向けられる可能性もある」と指摘する。

    東日本大震災での原発事故後、信州でも脱原発の活動が活発になった。若い人たちが参加する姿を目にして思う。「特にお母さんたちが自分たちの未来の問題として考え始めた」

    沖縄の基地問題も、国の未来に花冠悪テーマだ。沖縄塾の活動を振り返って「メッセージの届く範囲にとどまり、若い人をさせきれていない。活動の限界なのか」と実感する。一方で「日常の問題として考えてもらうための情報の質と量がまだまだ足りないからではないか」とも思う。

    「だから、のりしろいっぱいあるとと考えたい。役割はたくさんあるはずだから」

    信濃毎日新聞

     

  • 2012.02.15

    沖縄の歌人、玉城洋子さんから、主宰する短歌会の歌誌が届いた。

    〈この沖縄(しま)を犯すと言いし男いて背後に謀るリーダーの貌(かお)〉玉城寛子。前沖縄防衛局長の発言を受けたもの。基地問題を詠まずにいられない日常がある◇普天間飛行場がある宜野湾市の市長選。現防衛局長が職員に投票を呼びかけた奇妙な「講話」の影響は不明だが、自公などが推薦する候補が当選した。いまは県外移設を主張し、かつて名護市辺野古への移設を容認していた新市長の”柔軟さ”に、政府内には期待する向きがある◇発想の柔軟さは反基地闘争に取り組む人たちも負けてはいない。昨年秋、辺野古で移設反対に取り組む平良悦美さんの話を信州で聞く機会があった。カヌーによる会場の座り込みは7年を数える。お金も力もない自分たちにできることを考え抜いたという◇座り込みの住民たちが手踊り「カチャーシー」を踊り始め、排除に来た職員をめんくららわせた―。前に読谷村を取材したとき、こんな話を聞いた。銃剣とブルドーザーの時代から脈々と続いてきた抵抗運動の粘り強さ、かかわる人々の多様さに気づかされる◇さまざまな沖縄の声にみみを澄ましたい。宜野湾市長選と同じ日、長野市で市民グループが、沖縄問題のパネル討論会を開いた。小さなホールがほぼ満杯に。信州からできることはないか―。聴衆の静かな熱気が伝わってきた。(2012,2.15)

  • 2012.02.15

    地方メディア 長野でパネル討論

    上田市の市民グループの信州沖縄塾などでつくる実行委員会は12日、シンポジュウム「地方マスメディアは『沖縄』をどのように伝えてきたのか?」を長野市内で開いた。2010年に松川中学校(北安曇郡松川村)の当時3年生が基地問題などを生徒手作りの「沖縄新聞」にまとめた活動に触発された有志が集まり、「大人たちも問題意識を共有するべき」(信州沖縄塾の伊波敏男塾長)と開いた。

    約300人が参加。地方の新聞社やテレビ局の代表3人によるパネル討論があり、沖縄を身近に見つめ直すことの意義を考えた。

    琉球朝日放送(那覇市)の具志堅勝也報道制作局長は、電話で会場に声を聞かせる形で参加。米軍普天間飛行場の移設問題をまとめた映像も寄せ「沖縄は国策の道具として使われている」と強調した。同飛行場の名護市辺野古移設へ向けた環境影響評価(アセスメント)の評価書は「事故が多い輸送機の利用を内容に盛り込み、政府は沖縄を同胞とは見ているとは思えない」と訴えた。

    高知新聞社(高知市)の中平雅彦編集局長は、こうした基地問題を報道機関が伝える際に「沖縄と在京のメディアの間に問題意識や視点の違いが象徴的に現れる」と説明。特集記事や名護市議選報道で沖縄県の琉球新報の記事を高知新聞に転載した取り組みを紹介し、「沖縄の問題を日本の民主主義の熟度を映す鏡ととらえて、読者と考えていきたい」とした。

    信濃毎日新聞社の中馬清福主筆は、アジアと経済を含めて結び付きを強めようとする米国や、軍事力を強化している中国などの間に緊張が高まっている―と指摘。「沖縄は、米国や中国がせめぎ合う情勢を占う場所でもあり、日本が対応を間違えば非常に危険な状況になりかねない」と述べた。

    司会を務めた伊波塾長はね東京電力福島第1原発事故を挙げ「私たちは原発わ自分の生活から遠い問題として本気で考えてこなかった反省を受け止めなければならない」と強調。「沖縄問題」を『手遅れ』にしないために、ニュースを通して個々の判断基準わ培っていく必要がある」と述べた。(2012/02/14)

  • 2012.02.08

    長野 12日にパネルディスカッション

    沖縄の歴史や米軍基地問題を学び、情報発信している上田市の市民グループ「信州沖縄塾」などでつくる実行委員会が2月12日、パネルディスカッション「地方マスメディアは『沖縄』をどのように伝えてきたのか?

    」を長野市のホクト文化ホール(県民文化会館)で開く。信濃毎日新聞社の中馬清福主筆、中平雅彦高知新聞編集局長、琉球朝日放送の具志堅勝也取締役報道制作局長がそれぞれ考えわ述べる。

    2010年、松川中学校(安曇郡松川村)の3年生(当時)は信濃毎日新聞や他の新聞を読み込んで基地問題を学び、「沖縄新聞」を作った。信州沖縄塾塾長の伊波敏男さん(上田市保野)は、生徒たちから取材を受けた経験もあり、「中学生に刺激を受けた。長野の大人たちもできることをしたい」とパネルディスカッションを企画した。

    当日は午後1時半開始。3人がテーマに沿ってそれぞれ講演する第1部と、来場者の質問に応じる第2部で構成。中馬氏は日本の安全保障や日米地位協定、中平氏は普天間基地移設について沖縄県の琉球新報の記事を転載した高知新聞の取り組み、具志堅氏は沖縄県八重山地方の中学校公民教科書の採択をめぐる動きなどを紹介する。

    伊波さんは「過去の報道を検証するだけでなく、メディアが正確に報道するために私たちは何をすべきか。来場者と共に考えたい」と話す。参加費千円。事前の申し込みは不要。手話通訳が付く。問い合わせは実行委員会事務局の竹内茂人さん(0268/24.0276)   (信濃毎日新聞 2012/01/31)

  • 2012.02.08

    ハンセン病回復者 伊波さんが夜野久中で

    福知山市夜野久町高内の夜野久中学校(久木久代校長 87人)は、人権学習の一環として、今なお偏見が残るハンセン病の学習を続けている。4日には、同行の熱心な取り組みに心を打たれたハンセン病回復者で作家の伊波敏男さん=長野県在住=が初めて訪れ、講演を通して生徒、父母、地域の人らに、逆境にめげずに生きた波瀾万丈の人生を語った。

    同校ではハンセン病の学習を始めて9年になる。毎年、夏休みに希望者を募って岡山県瀬戸内市にあるハンセン病の国立療養所、邑久光明園を訪ね、府出身の回復者の居宅で心の交流を続けているる

    今年はさらに各クラスに伊波さんが執筆した本を9冊ずつ置き、知識を深めた。

    伊波さんは沖縄県生まれ、14歳からハンセン病療養所に強制入所させられた。その後、高校進学をあきらめずに脱走。全快後、多くの人に助けられて前向きに生き、東京の中央労働学院で学び、社会福祉法人東京コロニーの理事も務めた。現在、長野大学客員教授で、講演活動も続けている。

    講演のタイトルは「あなた達に伝え継ぎたいこと ハンセン病を生きて」。

    親類縁者に迷惑がかからないよう、療養所には偽名で入った。高校卒業までに12回もの手術を繰り返し「手足に残る手術痕わ見ると、まるで改造人間と思えるようだった」

    日本では治療法が確立されて完治する病になり、「ハンセン病問題解決促進法」が成立したが、隔離政策が長く続いた背景があり、今なお偏見が残っている。

    伊波さんは、苦しい過去を振り返り、現状を語った。そして、「差別や偏見は、真実を知らないことから生まれる」と強調した。

    講演後、特別授業があり、国から支払われた賠償金で伊波基金を創設し、地域医療が崩壊の危機にさらされているフィリピンに送金し、医師や看護師の育成につとめていることなどを紹介した。

    (京都両丹日日新聞2011/12/07)

     

  • 2008.02.26
    作家は手にした文に驚いた。訪問する予定の小学校の生徒が書いた作文だ。◆作家は川端康成氏。訪れた学校は沖縄のハンセン病隔離施設の中にあった。生徒たち一人一人に丁寧に挨拶した氏は、その小学生と話をした◆氏の目は涙であふれていた。「たくさん書きなさい。自分の中に一杯蓄えなさい」。4週間後、本の入った大きな木枠の箱が学校にいくつも届いた◆感染力は微弱。世界的には隔離の必要なしとの医学的見解が出ていた。療養所からは高校や大学に行けなかった。わが子の将来を考えた父は決意した。「脱走しよう」◆事情を知ったタクシーの運転手、小船の船頭が協力してくれた。以来40数年、苛烈な差別はあった。しかし、学友、職場の先輩が助けてくれた。その小学生、伊波敏男さんは、たくさんの本を著す作家となった。絶望の時、支えてくれた人のことを、伊波さんは「花」と呼ぶ(『花に逢はん』人文書館)◆幾多の花に出あった人生を幸福と振り返る◆名誉会長は21世紀について「絢爛たる地涌の人華が地球をつつみゆくにちがいない」と語り、同志の成長に期待した。その期待に応えたい。悩める人に幸福の芳香を届ける花になって。(哉)

    掲載元:聖教新聞

  • 2007.12.23
    著者は沖縄出身のハンセン病回復者で作家。現在は上田市に暮らし、小中高に招かれて子どもたちに体験を語っている。
    半生をつづった本書が最初に出版されたのは1997年。それから十年を経て出た改訂新版は、加補筆を行い、解説も充実させ、装丁を一新した。2001年のハンセン病国家賠償請求訴訟熊本地裁判決を機にハンセン病問題が大きく動くなかで、この本を歴史のの記録として次世代へ伝えていきたいーという静かな決意が伝わってくる。
    著者は16歳の時、本土復帰前の沖縄の療養所から”脱走”して本土へ渡った。当時はまだ渡航制限があったが、本土にある高校で勉強をしたいーとの一心から。その後病は治癒したが、東京で就職、結婚した後も、偏見、差別と闘い続けてきた。
    だが、この本は社会を告発する書ではない。強い意志と、さまざまな人との出会いによって、自らの人生を切り開いてきた一人の回復者の軌跡だ。「人は、私にとってはまさに『花』そのものである」とつづられた文章の底流には、自らへの問い返しと、人間への信頼がある。
    (人文書館・2940円)

    掲載元:信濃毎日新聞

  • 2007.12.22
    -きみたちに伝えたいこと-
    伊波敏男著 岩波ジュニア新書
    上田市在住の作家でハンセン病回復者の伊波敏男さんが、ハンセン病の歴史と現在を、自らの体験とともに分かりやすく語った一冊。「差別や偏見は、真実を知らないことから生まれる」と考える伊波さん。小学生との交流を通して確信した、ものごとに真っすぐ向き合う子どもたちにこそ伝え、未来を託したいととの思いがこめられています。
    01年の熊本地裁の国家賠償裁判勝訴と国の控訴断念のもつ歴史的意味、特効薬プロミンの開発で治療が確立した後も長年にわたって患者たちを隔離し続けた国の政策、それによってもたらされた患者と家族の悲劇と差別の構造を、自身の発病から療養所入所、治療を受け回復者としてハンセン病の真実を訴え続けた半生とともに記します。
    沖縄で育った伊波少年が14歳で発病し、療養所に入所させられるその日、お父さんは伊波さんを仏壇の前に呼び寄せ、三線(さんしん)を弾きながら「散山節(さんやまぶし)」を歌います。その歌は今生の別れのときにだけ歌われる特別な歌。伊波さんはその意味を成人してから知り、父の思いに棟を締め付けられます・・・。
    ジュニア新書として出版されましたが、ハンセン病の入門書として、大人に読んで欲しい一冊です。

    掲載元:
    週刊上田
  • 2007.12.13
    上田の「沖縄塾」連続講座まとめ
    沖縄問題を考える上田市の市民グループ「信州沖縄塾」が、同市のエディターミュージアムで今年二月から十月まで開いた初の連続講座「小さいものの視座」(全五回)の「報告集」を作った。年内に実費三百円で販売を始めるほか、上田上小地域の全小中学校、高校に一冊ずつ送る。次代を担う児童生徒に自分の問題として差別や戦争を考えてもらうきっかけに-と願っている。
    講座は本土に対する沖縄、アイヌなど「少数派(小さいもの)」の視点から歴史と今を見つめようと企画。毎回一人が講演し、東北信などなどから40~100人が訪れた。報告集には要旨をまと、受講者の感想も載せた。
    講座で、米軍基地に反対する沖縄・宜野湾市の島田善次さんは沖縄が米軍基地の七割以上を背負い、本土は「人ごと」のように放置している-と強調。来場者は「重い事実を知らないことの罪を覚える」「日本人が自分のこととして知るべき」との声を寄せた。
    元対馬丸記念館専門員の吉川由紀さんは、1944(昭和19)年、沖縄から九州に向かう児童疎開船・対馬丸が米艦に撃沈され、約千五百人が犠牲になった-と講演。来場者の一人は、有事法制の国民保護計画が各地で作られる現代と関連させ「危惧(きぐ)を感じた」と記した。
    このほか、上田市の編集者・作家小宮山量平さんは沖縄戦をテーマにした「太陽の子」の著者で児童文学者の故灰谷健次郎さんを語り、大阪府立大学名誉教授の宮本憲一さんは基地に依存しない経済振興策を講ずるべきと主張。アイヌの長谷川修さんはアイヌ民族の回復を訴えた。
    塾長でハンセン病回復者の作家伊波敏男さん(64)は、「ほとんどの人が日常では意識しない、当事者にとっては大変な問題をあらためて学ぶ機会になった」と話す。
    A4判12ページ。問い合わせは事務局(0268・24・0276)へ。

    掲載元:
    信濃毎日新聞
  • 2007.11.30

    ハンセン病回復者の伊波さん
    松本市埋橋の松本松南高校で29日、ハンセン病回復者で作家の伊波(いは)S敏男さん(64)=上田市=が、国の隔離政策の中で生きてきた人生について生徒たちに講演した。
    伊波さんは本土復帰前の沖縄県で隔離されていた療養所を抜け出して鹿児島に渡り、高校があった岡山の療養所にたどり着くまでを振り返り、高校で学びたい一心だった苦難と思いを話した。また、国の隔離政策に異議を訴え続けた経験から「自分の納得できないことは、周りに流されてはいけない」と生徒たちに語り続けた。
    同校の青山誠高長が上田市で伊波さんの講演を聞いて感銘を受け、同校が「人権教育の日」としているこの日に伊波さんを招いた。講演後、三年生の小川恵理さん(18)は「伊波さんの話を聞き、元気づけられた」と話した。

    掲載元:信濃毎日新聞

  • 2007.11.24

    著者は14歳でハンセン病を発病し、隔離施設に入れられました。病気は回復し社会復帰しましたが、過酷な人生を語る本書には、今なお残るこの病気への根強い偏見と差別をなくそうとする強い意志が感じられます。
    「らい予防法」が1907年に制定され、その後治療薬ができました。しかし日本では隔離政策を続け1996年にようやく法律は廃止に。このことは長い間この病気への偏見を招いた大きな原因です。同時に私たち一人ひとりの無知と差別意識がそれを裏打ちしたと言えます。

    科学読み物研究会 福田 晴代

    掲載元:しんぶん 赤旗

  • 2007.11.13
    群馬県草津町にある国立ハンセン病療養所栗生楽泉園(くりゅうらくせいえん)の長野県人会長丸山多嘉男さん(80)=飯田市出身=が十二日、上田市第二中学校(同市大手)を訪れ、三年生約三十人と交流した。一年三カ月ぶりの再会で、生徒は「国の過ちと、真実を後世に伝えたい」と学習成果を報告し、丸山さんは「皆さんに負けないよう一生懸命生きていきたい」と応じた。
    生徒たちは、ハンセン病について「初めは『怖い』『目をそむけたい』と思った」「国の隔離政策や差別を知り、少しずつ考えが変わった」などと発表。丸山さんと一緒に「故郷(ふるさと)」を歌い、手作りの五平餅(もち)を贈った。
    一年生の時、ハンセン病回復者の作家伊波敏男さん(64)=上田市=の話を聞き、二年生で療養所を訪問、丸山さんから体験を聞いた。学級代表の矢島慎也君(14)は「(問題)の本質を知る上で本当に大切なことでした」と謝辞を述べた。
    交流会で伊波さんは「三年後また会いたい。高校生になって何を身に付けたか、次の宿題です」とあいさつ。最後に生徒一人一人と握手した丸山さんは「偏見や差別を解消しようとする努力に頭が下がります。呼んでもらってよかった」と笑顔を見せていた。

    掲載元:
    信濃毎日新聞
  • 2007.09.30
    ハンセン病元患者の体験を伝える「うたと朗読 遠い空の下の故郷」が29日、小布施町の新生礼拝堂で上演された。新生病院(同町)など三グループで作る実行委員会の主催。東京の劇団「NPO現代座」の三人が、療養所に隔離された女性二人の体験を語ると、聞き入る約百人からすすり泣きが聞かれた。
    最初の女性は、ハンセン病と診断され、親戚や友人が近寄らなくなり、家族が苦しむのを見て「庭の木下で泣いた。母のために療養所に行こうと決心した」と朗読された。
    もう一人は国家賠償請求訴訟に加わった理由に触れ、「国中の津々浦々を回り、草の根を分けてでも偏見をなくす努力をしてほしいとせめて言いたかった」と、心情が劇団員により伝えられた。
    朗読に先立ち、長年ハンセン病の治療をしてきた橋爪長三・新生病院名誉院長(78)と、橋爪さんの治療を受けたこともある回復者の作家の伊波敏男さん(64)=上田市=が差別をなくすためのメッセージなどを語った。
    長野市から訪れた五十代の会社員女性は「元患者の人たちの、だれにも言えなかった思いが伝わってきて、涙がポロポロとこぼれた」と話していた。

    掲載元:
    信濃毎日新聞

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