色臥せて時を刻めり菜種刈 | かぎやで風・NPO法人クリオン虹の基金

遠い人にも身近な友にも[コラム]~~かぎやで風~~

石を踏んだ足の痛みではなく、踏まれた石の痛みに軸足を置きながら、その折々、考えたこと、言うべきことを記します。

色臥せて時を刻めり菜種刈【No.301】

2018.05.05

〈立夏〉2018/05/05
小さきものの声  
 資本主義社会は、必ずしも平等な民主主義国家とは限らない。国際NPOオックスファム・インターナショナルの発表によると、世界の富の82パーセントが、わずか1パーセントの富裕層に集中していると発表した。
「富」を寡占する彼らのタクトの振り方で、政治・経済・国家権力、そして、国民の人権、地球温暖化、戦争のすべての生殺与奪権が握られている。ヨーゼフ・シュンペーターは、「資本主義はその成功ゆえに自壊する」と、言い残したが、現況の国際情勢の現況を見るにつけ、その指摘はうなずかされる。
 私は1943年に沖縄県で生まれ、乳飲み子の私の命は戦禍の中で守られた。しかし、14歳時にハンセン病を発症し、「らい予防法」によって、特別な場所に隔離された過去を持つ。『戦後沖縄の医療』(照屋寛善著)によれば、終戦後の沖縄では、急性感染症、マラリア、結核、ハンセン病等が蔓延するが、対処する医師はわずか131名しか生き残っておらず、『ハンセン病政策の変遷』(犀川一夫著)の統計資料でも、私がハンセン病を宣告された1957年、沖縄のハンセン病罹患率は、本土の約二、一倍という驚くべき高罹患率であった。
 沖縄は1609年の島津による琉球侵略から今日に至るまで、一度としてウチナーンチュ自身の選択によって、自らの進むべき道を選べないまま400年の歳月を重ねた。
 「多数者の強き人たち」と「少数の弱き者」との分離は、時代を背景に、さまざまな要素を加味しながら産み出され、その差別構造を重層化してきた。多数者に位置する人たちは、少数者で虐げられた者が、頭(こうべ)を垂れ、口をつぐんでいるときは、寛容な手を差し伸べてくれるが、対等な権利を主張するや否や、手のひらを返したように非難の声を浴びせる。
わがふるさとの沖縄も大和国家からすれば、南西に位置する少数者の島であり、ハンセン病回復者の私も、健康な多数の国民を守るという大義で病み捨てにされたひとりである。だからこそ、たとえ小さな声であっても、まっとうな国のありようと、人間の尊厳が守られる社会への夢を託し、声を上げ続けたい。 (月間社会教育 五月号転載)
 4月22日に泊まりこみで小川村林りん館に、連れ合いの繁子と出かけました。館主の丸田勉さんからお誘いを受け、桜の満開を鑑賞しようと予定したのてすが、今年は桜の開花が1週間ほど早かったので、満開時期の訪れにはなりませんでしたが、それでも夜景のライトアップと夜明けの北アルプスの山並みは見事でした。

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