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2010-03-16
[社会・新聞記事]
◆沖縄の「基地」や歴史を学ぼう
上田で講座が開講
上田市内で事務局を置く市民グループ「信州沖縄塾」は、沖縄の基地問題や歴史、文化を学ぶ全11回の連続講座「私が考える沖縄問題〜学ぶあい・知り・伝え合う」を13日、上田勤労者福祉センター(中央4)で開講した。東信地方を中心に22人が参加し基地問題について考えた。
第1回のこの日は、輸送機などの写真や現地の映像も交えて、沖縄の米軍基地の現状や米軍普天間飛行場の移設問題の経緯を、副塾長の大村忠嗣さん(63)=上田市=が報告。その上で「基地は日本の生活と安全を守るためというが、基地周辺の人は日常生活を基地によって脅かされている」と指摘。「人間の安全とは何かを考える視点が、基地問題を考える際に重要」と訴えた。
信州沖縄塾では、今後も隔月で日米地位協定をめぐる問題をはじめ、沖縄の歴史や教育、経済について担当の塾生の報告を予定している。伊波敏男塾長(67)は「回を重ねるごとに問題点を摺り合わせていけば、レベルの高い沖縄情報を発信できると思う」と話している。
掲載元:
信濃毎日新聞
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2009-10-07
[社会・新聞記事]
◆琉球伝統の歌舞劇や民謡紹介
5周年の信州沖縄塾 31日に
沖縄問題を考える住民グループ「信州沖縄塾」(事務局・上田市)は31日、沖縄の琉球古典芸能を紹介する催し「琉球の古典芸能・伝え継ぐ力」を長野市の勤労女性会館「しなのき」で開く。沖縄の人たちの精神基盤となってきた伝統文化を紹介する。
国内外で公演実績がある高教組の「組踊部会」のメンバーら15人が出演。音楽と踊り、せりふからなる伝統歌舞劇「組踊」のほか、民謡「安里屋ユンタ」などを紹介する。
長野市の善光寺木遣り保存会や、上田市を拠点に八重山民謡を学ぶグループ「あやぱに」もゲスト出演。当日の午後三時からは本願寺長野別院本堂で戦没者追悼の奉納演舞も行う。
2004年8月に発足した沖縄塾は準会員も含め約120人。沖縄戦や米軍基地問題についての講演会などを開いている。6日に長野市の県庁で記者会見した伊波敏男塾長(66)は「沖縄では次々と降りかかる苦難も、歌や舞を心に据えて乗り越えてきた。こうした文化を広く知ってもらいたい」と話した。
午後6時半開演。入場料2500円(当日2800円)。問い合わせは沖縄塾(0268・24・0276)
掲載元:
信濃毎日新聞
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2009-09-29
[社会・新聞記事]
◆社会復帰 しみる寒風
長野県に住む作家、伊波敏男(66)が多磨全生園を「軽快退所」して今年で40年が過ぎた。
大半の退所者が自らのハンセン病歴を伏せて社会復帰している中で、初めから公言してきたパイオニア的存在だ。復帰前の沖縄から高校進学を目指しての決死の本土行きなど、波乱の半生をつづった著書「花に逢はん」(人文書館)がある。
72年、NHKが若い伊波夫妻を追った番組「ある結婚」を制作した。が、直前に放送中止となる。社会復帰者の強い申し入れがあった。交渉の末に放送された番組には、伊波がたばこを吸う映像などがなかった。後遺症のある手が映ることに、退所者たちには抵抗感があった。
* * *
30年ほど後、伊波は申し入れの主が戦後初期の入所者運動で勇名をはせた指導者であったことを知る。53年のらい予防法闘争に挫折し、伊波と同じく看護師と結婚、社会復帰していた。
問題の隠匿を図る姿勢に指導者の変節を見る向きもあるが、伊波は今、最初期の復帰者を襲った差別の大波を思う。
「ああ、つらかったんだろうなあ。懸命に生きた、ハンセン病問題の犠牲者の一人ですよ」
60年代、大半の入所者の病状は後遺症以外、治癒していた。社会復帰か、園に残るかの「選択肢」はあった、と伊波はいう。園当局は規制を緩め、菌検査の上で退所を認めるようになっていた。戦後40年で600人以上が「軽快退所」し、正式に園が認めた以外の「事故退所」を含めるとさらに相当数が社会復帰したと見られる。
ただ、復帰への援助は皆無。伊波も「君ね、大変な目にあうよ」「いつでも困ったら戻って来なさい」と医師らに送り出された。「まあいわば放り出す感じですよ」。復帰を目指したが断念した者も多くいた。
伊波の場合、福祉作業所が職場をあげて受け入れてくれたのが幸運といえた。通例はまず職探しに苦労。病を伏せて勤めれば、クビを賭けて秘密を守り通さなければならない。ある復帰者によると、人と親しくなりかけたら遠ざかる。「浅く、浅く付き合ってきた」
指先が大出血しても後遺症で感覚がないので気付かず、人に指摘されて急に大痛がりしながら、どこかに落としてきた自分の指先を探しに行った、という笑えない笑い話もある。
* * *
いま全生園では、若い頃は社会復帰していたという人によく出会う。この20年の再入所者は約400人に上る。気心の知れた園を訪れる退所者もいる。一方で、外来診療を受けに来て入所者と競合。待ち時間が長くなった、という入所者の苦情が自治会に寄せられてもいる。
熊本地裁の国賠訴訟違憲判決を受けて、退所者には月17万円余円の給与菌金が支給されている。(02年度以降の単身退所者は月26万余円)。住居と食事が保証されている入所の給与金8万余円と比べ、水準が高いか、どうか、意見は分かれている。
伊波は社会福祉法人の役員を務めた後、執筆や講演に専念。最も成功した復帰者の一人となったが、病への偏見による心労から妻が去り、生き別れた経験を持つ。
「花に逢はん」の書名は、作家檀一雄の辞世の句「モガリ笛いく夜もがらせ花ニ逢はん」から採った。「笛の音」をならす風の強さは、今いかばかりだろうか。 =文中敬称略 (木村彰一)
掲載元:
朝日新聞 東京多摩版
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2009-09-23
[社会・新聞記事]
◆琉球舞踊の奉納 辞退 戦没者将兵を供養 善光寺忠霊殿
上田の団体 「沖縄の心情に反する」
第二次大戦中の沖縄戦で亡くなった長野県出身者追悼のため、善光寺(長野市)で琉球古典舞踊の奉納を計画した県内の市民団体が、会場として同寺敷地内の「日本忠霊殿」を提案され、辞退した。忠霊殿は戦没将兵への感謝と供養のため建てられた施設で、多くの住民が犠牲になったことで旧日本軍への反感が残る沖縄県民の心情に反すると判断した。同寺一山からは「忠霊殿は現在、二度と戦争をしないと祈る場だが、あらためて意義づける必要がある」との声も出ている。
奉納を計画したのは、沖縄問題を考える「信州沖縄塾」(事務局・上田市)。発足5周年を記念し、沖縄県糸満市にある沖縄戦犠牲者の記念碑「平和の礎」で鎮魂の舞を披露した経験がある琉球古典舞踊の第一人者を10月に招く計画だった。
塾長で同県出身の伊波敏男さん(66)=上田市は「記念碑には長野県出身者1300人の名前も刻まれていると知り、善光寺で舞踊を奉納できないかと考えた」という。塾は本堂内陣での舞踊を希望し、8月に同寺へ申請した。
善光寺は役員会議で協議。事務局の若麻績信昭・寺務総長は「本陣内陣ての舞踊は一般参拝客もあり、難しい。同じ戦争関連の施設ということで忠霊殿はどうかとなった」と話す。
忠霊殿建設の中心になった長野商工会議所の百年史によると、1906(明治39)年に日露戦争の死者の追悼を目的に仮殿を設置。70(昭和45)年には、太平洋戦争で亡くなった将兵の遺骨などを供養するため、仏塔を建設した。同商工会議所が66年に出した声明には「勇士の勲功に対し深く感謝を捧げるとともに崇高なる英霊の精神を永く後世に生かし」と建設理由が記された。
伊波さんは、辞退の理由を「善意で忠霊殿を提案してもらったと思っているし、今は位置付けが変わっているかもしれないが、問題提起になればと思った」と説明。善光寺に近い本願寺別院で10月31日に追悼演舞を行うことにした。
善光寺寺務局役員の一人は「忠霊殿の法要では現在、万国の紛争の犠牲者を追悼している」としつつ、「(塾側の)の気持ちはよく分かる」。忠霊殿内には、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世から昨秋贈られた仏像も展示しており、「世界から戦火をなくす誓いの場として、あらためて考えてみる時に来ているのかもしれない」としている。
掲載元:
信濃毎日新聞
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2009-09-08
[社会・新聞記事]
◆身近な問題考え10年目
信州上田夏季大学 4分科会50人
上田市民有志でつくる実行委員会は6日、「信州上田夏季大学」を同市内の長野大学で開いた。大正時代に起きた「上田自由大学」運動で、民衆が主体的に学んでいた歴史を踏まえて、身近な問題を考えようと回を重ね、10年目を迎えた。今年は、ハンセン病問題などを考える4分科会で計約50人が学んだ。
ハンセン病など学ぶ
上田市や坂城町など県内の有志による「ハンセン病問題に関わる長野県民の会」が運営した分科会には、同市のほか、長野市や東御市などから19人が参加。ハンセン病回復者で作家の伊波敏男さん(66)=上田市=を交えて意見を出し合った。
県民の会会員で佐久穂町の看護師今井真紀さん(36)は、看護学生時代に国立ハンセン病療養所多磨全生園(東京)での実習で元患者と接し「社会が生んだ根強い差別や不条理を実感した」経験を紹介。入所者のために何かしたいと同園に就職を希望したが、両親の反対でかなわなかったといい、「今の生活でもできる範囲で活動したい」とした。
伊波さんは「ハンセン病や患者への差別は、国家や社会が容認した人権侵害。国民一人一人に見届ける責任がある」と話した。
ほかに、子どもと携帯電話の関係といった情報教育、上田電鉄別所線など地方の公共交通の存続、好きな本や図書館を語り合う分科会があった。
掲載元:
信濃毎日新聞
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2009-08-30
[社会・新聞記事]
◆過ちには「個」の責任がある
死者は数ではなく固有名詞で捉えて
神奈川県外キを中心とする実行委員会の主催による「平和を願い『記憶しよう8月15日』」が同日、川崎市川崎区のいさご会館で開催された。1部では、語り部による戦争体験が語られ、2部の「沖縄の声『小さき者の視座』」では作家の信州沖縄塾塾長の伊波敏男さんが講師に立った。
11人の語り部は、皆幼い頃や青年時代に戦争を体験した人たちだ。東京の大空襲、広島の原爆体験者や満州、サハリンにいた人など、11人が11様の戦争体験と戦後の歩みをしてきたことを赤裸々に叙情を込めて語った。「自分は生き残ったけれど、家族はこの戦争で何人も死んでいった。多くの人の死と引き換えに、民主主義国家が築かれ、憲法第9条が今日まで生きている。変えることは許されない」と反戦の意を強く表した。
伊波氏は、沖縄戦当時は1歳8か月だったという。「泣き声が漏れぬよう、布を口に入れ、母が必死に守ってくれた命。でも14歳の時にハンセン病だとわかり、愛楽園に入所した」とその生い立ちを振り返った。そこから紆余曲折を経て本土のハンセン病施設へと逃げ、高校進学を果した。施設内で、生きる意味や目的を見出せずに自死する人を間近に見てきた伊波さんは、「96年にらい予防法が廃止されて、01年に熊本地裁でハンセン病者らが勝訴したが、戦後も50年以上も隔離され、社会から無視された存在でもあり、いざ隔離政策の誤りを司法が認めたところで、取り返しがつかない」と指摘。その過ちは「被害の立場の時だけ、具体個別的なことを語るが、加害については一般で客観的なことを述べて責任を転嫁する日本の歴史検証とも酷似する」と述べ、「過ちには必ず『個』の加害責任があります。亡くなっていく人を固有名詞で捉え、数量で論じないこと、反戦や社会の問題にも運動に具体的に行動していくことが求められる」と参加者を励ました。
掲載元:
クリスチャン新聞
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2009-07-07
[新聞・文化 こどもの本]
◆メディア百考探索 新型インフルエンザ
「空気」におびえていた
国の対策・説明不備指摘も
新型インフルエンザの感染をめぐり新たな発症事例が相次いでいるが、一時の混乱は終息しつつある。一種のパニックを巻き起こした感染症について、6月の各メディアが分析している。
本紙など全国の地方新聞社と共同通信社でつくる総合サイト「47nes(よんななニュース)」で四国新聞(6月23日付)は、香川県内初の患者確認に関し、「すっかりニュースにならなくなった。めっきりマスク姿を見なくなった。そうして油断していたところにやってきた感じ」とし、「一斉に騒ぎ、一斉に油断する」危うさを指摘する。
ジャーナリストの藤代裕之は「Voice」(7月号)で「過剰騒ぎの裏にある無責任」を批判。「本心では『そこまで騒ぐのか』と思っていても、誰もそれを公にすることはできない」集団心理や、感染した生徒が通う学校に「『責任を取れ』『バカ野郎』などの抗議や中傷の電話が50件以上あった」ことを取り上げ、「多くの人々や企業は、パンデミックにおびえているのではなく、空気におびえているだけ」と非難している。
作家で、ハンセン病回復者の伊波敏男(上田市)は、信濃毎日新聞(6月29日付)で「『多くの国民の健康を守るために』という大義名分は、わずかの圧力を加えるだけで、発症した少数者を近隣から排除することに、少しも疑問を持たない多数者を作り出すことができる」とし、「『冷静な良識』というモノサシを置き忘れ、『恐怖の亡霊』におびえるあやまちを、二度と繰り返してはならない」と警鐘を鳴らす。
また、社説(6月14付)では、対策の基本として、「感染症は、だれもがかかる可能性がある。感染しても社会から排除されることなく、安心して最善の治療を受けられる環境が保障されること」を挙げた。
新型インフルエンザが初めて公式に確認されたメキシコの実情はどうか?―。「文芸春秋」(7月号)は、奥野修司による現地リポートを掲載した。「街中に死者があふれていく」様子を想像したが、「発生地というのに、マスクをする人の姿は数えるほど」。死んだ患者の9割が貧困層で、「生死をわけたのは、ウイルスではなく、経済的な問題だった」との結論に至る。
「新潮45」(7月号)では、初の国内発生が確認された神戸市の対応をノンフィションライターの新井省吾が検証している。「感染は燎原の如く拡大」し、市民からの電話相談の激増でパンク寸前に。「神戸市の発熱相談センターと発熱外来の機能は、(5月)16日の国内初感染から、僅か3日で事実上、崩壊していた」とする。特に、患者を診察して隔離、治療するする態勢の貧弱ぶりは深刻だったとしながら、「一自治体に負わせるべき責任の範疇を超えるもので、結局のところ、国の対策に根本的な不備があった」と指摘する。
「世界」(7月号)で元北海道小樽市保健所長の外岡立人は、日本政府が強毒性ウイルスを想定した行動計画に従ったことが、混乱に拍車を掛けた恐れがあるとする。「通常の季節性インフルエンザかそれ以下の病原性である説明を、国は十分にしなかった」とし、「マスコミ自身、正しい事実を知らなかった」と疑問を投げかけた。その上で、「感染する危険性が低い成人層の多くが突然、マスクを着用」した現象を取り上げ、「日本には健全な市民社会がいまだ確立さりていない」と国民に反省を求めた。(敬称略)
掲載元:
信濃毎日新聞
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2009-06-29
[新聞・文化 こどもの本]
◆「冷静な良識」を置き忘れずに
-新型インフルエンザ騒動-
「指定病院」「隔離」「停留措置」「発熱外来」、耳慣れない言葉が、突如として私たちのまわりで飛び交う。これらの言葉が耳にとどくだけで、私は身がすくむ思いがする。なぜなら、あの悪法のきわみといわれた「らい予防法」によって、私は11年間も隔離された経験をしているからである。
4月下旬、メキシコとアメリカで発生した「豚」インフルエンザの人への感染に関するニュースから、わが国でも危険信号の点滅を始め、防護服姿に身をかためた検疫官や、国内での新型インフルエンザ発生関連について発表する緊迫した表情の厚生労働大臣がテレビに登場するようになった。その上、新聞紙面には、国・地域別の新型インフルエンザ感染状況(日本時間○日○時現在)まで掲載されるようになると、社会の恐怖心は一気にあおられてしまった。まるで、わが国が新型インフルエンザという怪獣にでも襲われつつあるような騒ぎである。
わが国の対策について、インフルエンザの専門官は4月末、記者会見で次のように述べていた。「少しナーバスになり過ぎているところがあるかもしれないが、後手後手になって大きな被害が出るよりは、やり過ぎの方がいいのかもしれない」
この専門家の目には、感染症の「ウイルス」は映っていても、病んだ人間のこころの痛みを、少しも感じ取っているとは思えないのはどうしてだろうか。
「国民の皆様は正しい情報にもとづき、冷静な対応を」と、厚生労働省は呼びかけていたが、指導を連発する当の省庁自身がすっかり舞い上がっているようにも思えた。
かつて、まちがった医療政策によって、国民意識が誘導された典型例が、わが国のハンセン病問題であったが、故郷から追われ、ハンセン病療養所という特別の場所で、無期限の隔離を強いられた私たちだからこそ、今、この国で見られる過度の騒動ぶりに、ある胎動の恐れを嗅ぎ分けることができる。
多くの国民の健康を守るためにという大義名分は、わずかの圧力を加えるだけで、発症した少数者を近隣から排除することに、少しの疑問も持たない多数者を作り出すことができる。こんなことは、もうたくさんだ。「冷静な良識」というモノサシを置き忘れ、「恐怖の亡霊」におびえるあやまちを、二度と繰り返してはならない。
新型インフルエンザは、感染力は強いが弱毒性であり、抗インフルエンザウイルス薬(タミフル・リレンザ)が有効とされ、重症化する例は少ないとされる。
今月19日になり、やっと、厚労省は実態に即した国内指針を発表したが、国民の多くもいささか冷静さを欠いてしまったことに気づきはじめている。
「我が国において、過去にハンセン病、後天性免疫不全症候群等の患者に対するいわれのない差別や偏見が存在したという事実を重く受け止め、これを教訓とし今後に生かすことが必要である」(感染症予防法の前文)
このようなときだからこそなおのこと、この前文を心に刻みなおし、大発生が警告されている「次」に備えたいものだ。
掲載元:
信濃毎日新聞
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2008-10-25
[社会・新聞記事]
◆「集団自決」を考えて 来月22日
上田で講演会 信州沖縄塾
沖縄問題を考える市民グループ「信州沖縄塾」(事務局・上田市)は十一月二十二日、上田市勤労者福祉センターで、沖縄国際大(沖縄県宜野湾市)の石原昌家教授(67)=を講師に招き、講演会「教科書検定問題と大江・岩波裁判〜『集団自決』をキーワードとして」を開く。
石原教授は1970年から沖縄戦体験者の聞き取り調査を続けている。講演会では、沖縄戦で日本軍が住民に集団自決を強制したとの記述を削除した日本史教科書検定問題や、岩波書店が刊行した作家大江健三郎さんの「沖縄ノート」などに日本軍の指揮官が集団自決を命じたとする記述があることをめぐる訴訟を踏まえ、「集団自決」とは何か―を考察する。
石原さんは、「自決」という表現は住民が自発的に死を選んだことを意味し、「国や日本軍の戦争責任を免責してしまう」と指摘。検定問題や裁判では日本軍の強制の有無が争点になるが、「そもそも住民への責任転嫁を許す言葉が、なぜ使われるようになっのか。自戒を込めて考えたい」と話している。
午後六時から。参加費五百円。問い合わせは信州沖縄塾事務局(0268・24・0276)へ。
掲載元:
信濃毎日新聞
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2008-07-11
[社会・新聞記事]
◆ハンセン病差別語る
岡谷で回復者・作家の伊波さん
諏訪・上伊那の教員らに
ハンセン病回復者で作家の伊波敏男さん(65)=上田市=の講演会が十日、岡谷市の男女共同参画センターで開かれた。「私たちが見棄てた人たち」と題し、十四歳で発病してからの体験を語った伊波さんは、ハンセン病の患者の隔離を定めたらい予防法が廃止された今も、多くの患者が療養所で暮らす現状を説明。「患者さんを故郷に迎えるため、皆さんは汗をかきましたか」と会場に問い掛けた。
発病して沖縄の療養所に収容された伊波さんは、高校進学の機会を求め、家族の助けで療養所から「脱走」。その後、都内で講演活動などを続けた。結婚して二児の父親となったものの、子どもが保育園への入園を拒否されるなど家族もつらい体験をした。
らい予防法は1996年に廃止された。問題を考える糸口として、上田市の中学生による群馬県内の療養所への訪問活動を紹介した。ハンセン病の正しい知識を伝えるために、「子どもと一緒に考える教員が必要」と訴えた。
県伊那教育事務所の主催で、社会人権教育研修会の一環。諏訪、上伊那地方の教員や民生児童委員や民生委員ら百六十人が参加した。茅野市の小学校女性教諭(23)は、「差別された人と無関心な人との(認識の)ずれが大きい。歴史を学び、総合学習の時間などで児童に伝えたい」と話していた。
掲載元:
信濃毎日新聞
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