これまで、新聞や雑誌など掲載された文章や発言を拾い集め、書いた者の責任、主張したことへの検証をしていきます。
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2008-10-25
[社会・新聞記事]
◆「集団自決」を考えて 来月22日
上田で講演会 信州沖縄塾
沖縄問題を考える市民グループ「信州沖縄塾」(事務局・上田市)は十一月二十二日、上田市勤労者福祉センターで、沖縄国際大(沖縄県宜野湾市)の石原昌家教授(67)=を講師に招き、講演会「教科書検定問題と大江・岩波裁判〜『集団自決』をキーワードとして」を開く。
石原教授は1970年から沖縄戦体験者の聞き取り調査を続けている。講演会では、沖縄戦で日本軍が住民に集団自決を強制したとの記述を削除した日本史教科書検定問題や、岩波書店が刊行した作家大江健三郎さんの「沖縄ノート」などに日本軍の指揮官が集団自決を命じたとする記述があることをめぐる訴訟を踏まえ、「集団自決」とは何か―を考察する。
石原さんは、「自決」という表現は住民が自発的に死を選んだことを意味し、「国や日本軍の戦争責任を免責してしまう」と指摘。検定問題や裁判では日本軍の強制の有無が争点になるが、「そもそも住民への責任転嫁を許す言葉が、なぜ使われるようになっのか。自戒を込めて考えたい」と話している。
午後六時から。参加費五百円。問い合わせは信州沖縄塾事務局(0268・24・0276)へ。
掲載元:
信濃毎日新聞
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2008-07-11
[社会・新聞記事]
◆ハンセン病差別語る
岡谷で回復者・作家の伊波さん
諏訪・上伊那の教員らに
ハンセン病回復者で作家の伊波敏男さん(65)=上田市=の講演会が十日、岡谷市の男女共同参画センターで開かれた。「私たちが見棄てた人たち」と題し、十四歳で発病してからの体験を語った伊波さんは、ハンセン病の患者の隔離を定めたらい予防法が廃止された今も、多くの患者が療養所で暮らす現状を説明。「患者さんを故郷に迎えるため、皆さんは汗をかきましたか」と会場に問い掛けた。
発病して沖縄の療養所に収容された伊波さんは、高校進学の機会を求め、家族の助けで療養所から「脱走」。その後、都内で講演活動などを続けた。結婚して二児の父親となったものの、子どもが保育園への入園を拒否されるなど家族もつらい体験をした。
らい予防法は1996年に廃止された。問題を考える糸口として、上田市の中学生による群馬県内の療養所への訪問活動を紹介した。ハンセン病の正しい知識を伝えるために、「子どもと一緒に考える教員が必要」と訴えた。
県伊那教育事務所の主催で、社会人権教育研修会の一環。諏訪、上伊那地方の教員や民生児童委員や民生委員ら百六十人が参加した。茅野市の小学校女性教諭(23)は、「差別された人と無関心な人との(認識の)ずれが大きい。歴史を学び、総合学習の時間などで児童に伝えたい」と話していた。
掲載元:
信濃毎日新聞
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2008-07-05
[社会・新聞記事]
◆「ハンセン病」他人事で済まさないで
作家の伊波さん 辛い体験を通じ訴え
ハンセン病回復者で作家の伊波敏男さん(65)=長野県上田市=が4日、金沢市で「病み捨ての戻り道」と題し講演。「なぜ、らい予防法は1世紀も生き延びたのか。国民の支持、無関心が容認したことを考えて欲しい」と訴えた。
金沢市などが主催。伊波さんは沖縄県出身。14歳で発病し、療養所に収容されたが脱走した。高校卒業後、病歴を公表して社会復帰した。著書に「花に逢はん」などがある。
2歳で沖縄戦に巻き込まれ、九死に一生を得たが、57年に発病。家族と引き離された。
「コンクリートの高い塀に囲まれた療養所で職員は父に『関口進』と書いた紙を手渡した。私の名前は、消えた」。
勉学を続けたい一心で闇夜の海岸を逃げ、米統治下の沖縄から本土へ渡ったこと、回復後に結婚し子をもうけたが周囲の母親が一緒の保育を拒むなど差別にさらされたことなどを話すと、聴衆はじっと聴き入った。伊波さんは「『国はひどい』と他人ごとで考えを止めないでほしい」と呼びかけた。【野上哲】
掲載元:
毎日新聞 石川版
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2008-07-05
[社会・新聞記事]
◆人権守る社会に
ハンセン病を知って
金沢 回復者が体験語る
ハンセン病回復者で信州沖縄塾の塾長伊波敏男さんが四日、金沢市文化ホールで、「病み捨ての戻り道」と題して講演した。伊波さんは「問われているのは無関心です」と語り、病気にまつわる事実を知る必要性を訴えた。
伊波さんは14歳の時発病。全国の療養所の一つ、沖縄愛楽園に隔離収容された。その後、社会福祉の仕事に携わり、今は沖縄などのテーマに、人権に関する執筆や講演活動をしている。
講演では、沖縄愛楽園での生活や、回復者を公言したことで家族が差別や偏見を受けた体験などを話した。
「石川は患者を県(の療養所)に送り出しほう。話題になることもないでしょう。国家はひどいことを下と言うレベルは人ごとです」と指摘した。
全国の療養所に多くの遺骨が保管されている現状にも触れ、「ふるさとで受け入れてほしい」と願った。(渡辺聖子)
掲載元:
中日新聞 石川版
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2008-03-15
[社会・新聞記事]
◆信州沖縄塾 石川文洋さん講演 「カメラの目/人間の眼」
28日(金)エディターミュージアム
ベトナム戦争の戦場取材で知られ、05年にベトナム政府から文化通信事業功労賞を贈られた報道写真家・石川文洋さん(70歳)が28日(金)18:30〜、上田駅前のエディターミュージアムで「カメラの目/人間の眼」と題して講演します。信州沖縄塾(伊波敏男塾長)とエディターミュージアムの主催。
石川さんは沖縄・首里に生まれ、5歳の家族と千葉県船橋市に移住。毎日映画社を経て、世界一周無銭旅行の途上で香港のフォーカス・スタジオに勤務することになり、1965年1月から4年間、激烈化するベトナムの戦場から、兵士たちの、そして民衆の姿を配信し続けました。
その後もラオス・カンボジア・ボスニア・ソマリア・アフガニスタンの戦争を取材。69年から84年まで朝日新聞カメラマンを務め、現在はフリー。著書に「戦場カメラマン」「報道カメラマン」(朝日新聞社)、「ベトナム 戦争と平和」(岩波書店)など。また灰谷健次郎と親しく交流し、共著「アジアを歩く」(*出版社)があります。なお、NHK教育テレビ「知るを楽しむ人生の歩き方」で石川文洋"戦場を撮る 人間を撮る"が放送中です。
今講演では、「なぜ戦場を撮影したのか、何を見てきたのかなど、スライドを映しながらお伝えしたい」と石川さん。参加費は500円(資料代含む)。
掲載元:
週刊上田
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2008-02-06
[新聞・コラム]
◆名字の言
作家は手にした文に驚いた。訪問する予定の小学校の生徒が書いた作文だ。◆作家は川端康成氏。訪れた学校は沖縄のハンセン病隔離施設の中にあった。生徒たち一人一人に丁寧に挨拶した氏は、その小学生と話をした◆氏の目は涙であふれていた。「たくさん書きなさい。自分の中に一杯蓄えなさい」。4週間後、本の入った大きな木枠の箱が学校にいくつも届いた◆感染力は微弱。世界的には隔離の必要なしとの医学的見解が出ていた。療養所からは高校や大学に行けなかった。わが子の将来を考えた父は決意した。「脱走しよう」◆事情を知ったタクシーの運転手、小船の船頭が協力してくれた。以来40数年、苛烈な差別はあった。しかし、学友、職場の先輩が助けてくれた。その小学生、伊波敏男さんは、たくさんの本を著す作家となった。絶望の時、支えてくれた人のことを、伊波さんは「花」と呼ぶ(『花に逢はん』人文書館)◆幾多の花に出あった人生を幸福と振り返る◆名誉会長は21世紀について「絢爛たる地涌の人華が地球をつつみゆくにちがいない」と語り、同志の成長に期待した。その期待に応えたい。悩める人に幸福の芳香を届ける花になって。(哉)
掲載元:
聖教新聞
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2007-12-23
[新聞・書評]
◆花に逢はん 改定新版 伊波敏男著
著者は沖縄出身のハンセン病回復者で作家。現在は上田市に暮らし、小中高に招かれて子どもたちに体験を語っている。
半生をつづった本書が最初に出版されたのは1997年。それから十年を経て出た改訂新版は、加補筆を行い、解説も充実させ、装丁を一新した。2001年のハンセン病国家賠償請求訴訟熊本地裁判決を機にハンセン病問題が大きく動くなかで、この本を歴史のの記録として次世代へ伝えていきたいーという静かな決意が伝わってくる。
著者は16歳の時、本土復帰前の沖縄の療養所から"脱走"して本土へ渡った。当時はまだ渡航制限があったが、本土にある高校で勉強をしたいーとの一心から。その後病は治癒したが、東京で就職、結婚した後も、偏見、差別と闘い続けてきた。
だが、この本は社会を告発する書ではない。強い意志と、さまざまな人との出会いによって、自らの人生を切り開いてきた一人の回復者の軌跡だ。「人は、私にとってはまさに『花』そのものである」とつづられた文章の底流には、自らへの問い返しと、人間への信頼がある。
(人文書館・2940円)
掲載元:
信濃毎日新聞
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2007-12-22
[新聞・書評]
◆本・紹介・本 「ハンセ病を生きて」
-きみたちに伝えたいこと-
伊波敏男著 岩波ジュニア新書
上田市在住の作家でハンセン病回復者の伊波敏男さんが、ハンセン病の歴史と現在を、自らの体験とともに分かりやすく語った一冊。「差別や偏見は、真実を知らないことから生まれる」と考える伊波さん。小学生との交流を通して確信した、ものごとに真っすぐ向き合う子どもたちにこそ伝え、未来を託したいととの思いがこめられています。
01年の熊本地裁の国家賠償裁判勝訴と国の控訴断念のもつ歴史的意味、特効薬プロミンの開発で治療が確立した後も長年にわたって患者たちを隔離し続けた国の政策、それによってもたらされた患者と家族の悲劇と差別の構造を、自身の発病から療養所入所、治療を受け回復者としてハンセン病の真実を訴え続けた半生とともに記します。
沖縄で育った伊波少年が14歳で発病し、療養所に入所させられるその日、お父さんは伊波さんを仏壇の前に呼び寄せ、三線(さんしん)を弾きながら「散山節(さんやまぶし)」を歌います。その歌は今生の別れのときにだけ歌われる特別な歌。伊波さんはその意味を成人してから知り、父の思いに棟を締め付けられます・・・。
ジュニア新書として出版されましたが、ハンセン病の入門書として、大人に読んで欲しい一冊です。
掲載元:
週刊上田
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2007-12-13
[社会・新聞記事]
◆「少数派の視点」報告集に
上田の「沖縄塾」連続講座まとめ
沖縄問題を考える上田市の市民グループ「信州沖縄塾」が、同市のエディターミュージアムで今年二月から十月まで開いた初の連続講座「小さいものの視座」(全五回)の「報告集」を作った。年内に実費三百円で販売を始めるほか、上田上小地域の全小中学校、高校に一冊ずつ送る。次代を担う児童生徒に自分の問題として差別や戦争を考えてもらうきっかけに-と願っている。
講座は本土に対する沖縄、アイヌなど「少数派(小さいもの)」の視点から歴史と今を見つめようと企画。毎回一人が講演し、東北信などなどから40~100人が訪れた。報告集には要旨をまと、受講者の感想も載せた。
講座で、米軍基地に反対する沖縄・宜野湾市の島田善次さんは沖縄が米軍基地の七割以上を背負い、本土は「人ごと」のように放置している-と強調。来場者は「重い事実を知らないことの罪を覚える」「日本人が自分のこととして知るべき」との声を寄せた。
元対馬丸記念館専門員の吉川由紀さんは、1944(昭和19)年、沖縄から九州に向かう児童疎開船・対馬丸が米艦に撃沈され、約千五百人が犠牲になった-と講演。来場者の一人は、有事法制の国民保護計画が各地で作られる現代と関連させ「危惧(きぐ)を感じた」と記した。
このほか、上田市の編集者・作家小宮山量平さんは沖縄戦をテーマにした「太陽の子」の著者で児童文学者の故灰谷健次郎さんを語り、大阪府立大学名誉教授の宮本憲一さんは基地に依存しない経済振興策を講ずるべきと主張。アイヌの長谷川修さんはアイヌ民族の回復を訴えた。
塾長でハンセン病回復者の作家伊波敏男さん(64)は、「ほとんどの人が日常では意識しない、当事者にとっては大変な問題をあらためて学ぶ機会になった」と話す。
A4判12ページ。問い合わせは事務局(0268・24・0276)へ。
掲載元:
信濃毎日新聞
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2007-11-30
[社会・新聞記事]
◆隔離政策下の半生 松本で語る
ハンセン病回復者の伊波さん
松本市埋橋の松本松南高校で29日、ハンセン病回復者で作家の伊波(いは)S敏男さん(64)=上田市=が、国の隔離政策の中で生きてきた人生について生徒たちに講演した。
伊波さんは本土復帰前の沖縄県で隔離されていた療養所を抜け出して鹿児島に渡り、高校があった岡山の療養所にたどり着くまでを振り返り、高校で学びたい一心だった苦難と思いを話した。また、国の隔離政策に異議を訴え続けた経験から「自分の納得できないことは、周りに流されてはいけない」と生徒たちに語り続けた。
同校の青山誠高長が上田市で伊波さんの講演を聞いて感銘を受け、同校が「人権教育の日」としているこの日に伊波さんを招いた。講演後、三年生の小川恵理さん(18)は「伊波さんの話を聞き、元気づけられた」と話した。
掲載元:
信濃毎日新聞
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