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| 石を踏んだ足の痛みではなく、踏まれた石の痛みに軸足を置きながら、その折々、考えたこと、言うべきことを記します。 |
| 寒月は叱咤にも似て文を書く |
小寒/2009/01/05 (No.105)
明けましておめでとうございます。みなさんはどのようなことを願いながら新年を迎えたのでしょうか。
2009年1月1日の朝、信州塩田平の外気温はマイナス3℃、雲ひとつない快晴でした。07時06分、わが家の二階から佐久平側、ちょうど10時の方角に初日の出が登りはじめました。山の稜線に頭を出した太陽は、瞬時、十文字の陽光を輝かせたのち、まわりの景色を浮き上がらせ、支配しはじめました。誠に見事!! なぜだか、いつもとは感動が湧きあがります。
しかし、元日早々、伝えられるのは、「年越し派遣村」や「イスラエルによるガザの空爆、地上侵攻」のニュースであり、今年もまた、ため息を誘う年明けとなりました。
私たちが良く耳にする言葉に「桃栗3年、柿8年」というフレーズがあります。果樹収穫の目安を指すのだそうです。これとは真逆に、わが国は今、「郵政選挙4年、小泉内閣誕生8年」という貧困の果実が爛熟期を迎え、社会は不安の極にあります。
「市場原理」「規制緩和」「民営化」を政策の柱にする小泉政権が登場したのは2001年4月でした。あれから8年です。自公政権に衆議院の2/3の議席を与えたのは、2005年の郵政選挙で、あのときから4年が経ちました。その結果、その政権は「労働者派遣法」を成立させてしまいました。国民は今、その選択の高いツケを支払わせられています。
現在、年収200万円以下の勤労者が1,000万人にものぼるそうです。その上、派遣労働者の首切りは野放図に行われています。かつては、救世軍による社会鍋は師走の一風物詩でした。しかし、「年越し派遣村」の登場は、尋常な社会現象ではありません。これほど多数の「貧困層」の出現に、社会的セフティーネットは全く機能しなくなってしまいました。緊急避難的な「年越し派遣村」は、社会的連帯としての評価は認められますが、本質的な解決策にならないのです。これから押し寄せてくる経済不況という名の荒波は、国民生活の基盤をますます揺るがすものと思われます。
確かに、これらの問題の引き金は、サブプライムローンの破綻という世界的規模の金融危機に、原油高や食料問題等が追い討ちをかけた結果ではあるが、わが国で今、引き起こされている「派遣切り」や「貧困」などの問題は、「政治災害」によって産み出され、加速されたものです。
今こそ、この国の容やこの国の政治のありようを真剣に考えることが求められている。人間に基本に据えた政策への私の選択と国民として果すべき責任をしっかり見据えたいと思う。
未来への舵取りのために、わたしができる一歩を踏み出そうではありませんか。
「スフィンクスは森の梢越しに何をみているのだろうか。《戦争をみるスフィンクス》、《戦争をみるスフィンクスU》では、「戦争」という言葉がはっきりと明示されている。前者では、スフィンクスはいかなる感情も浮かべずに淡々と遠くを見ているのに対し、後者では眉間に皺を寄せ、渋面を造り、前方を見据えている。怒りとも哀しみともつかぬ表情で、歯を食いしばり、悲嘆の声でも漏れてきそうである」(舟越桂 スフィンクスによる人間の探求/ 塩田純一/ 舟越桂 夏の邸宅/ (財) 東京都歴史文化財団東京都庭園美術館)
次回は大雪の1月20日です。
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